タイトルは友達発の名言です。
眉。結局眉なんですよね。
出るんだよなぁ。眉に。
例の方の眉については既にネットで散々言われていますよね。
この傾向って別に珍しいことではなくて、悪い意味で注目が集まってしまった女性は眉にも注目が集まるって例は結構あると思います。
だってへんてこな事をする人は決まってへんてこな眉毛なんですもん。
なぜそこが比例するのかってことですけど、答えは簡単で、「客観性が著しく欠けている」ってことだと思うんです。
他人の気持ちや目線は無視、意識していたとしていても激しくズレているからってことだと思います。
それは当然外見に出ますし、女性の場合メイクで特に眉というパーツに現れやすい。
以前にメイクの上で眉は客観的なメスを入れた方がいい場所No.1だと書いたことがあるんですが、あの眉を見て正直に思うことは「なんで?」ってことですよね。
「眉尻をちょっと」とか「色をちょっと」とか、そんなちょっとのアドバイスが思いつく段階ではないところにいってしまってますよね。
この世に自分しか存在していないのかっていうぐらいの好き勝手にも程がある眉毛だなぁと。他者との共存意識がすごく歪なんじゃないでしょうか。
〝実るほど頭を垂れる稲穂かな〟の真逆を如実に現しているというか、キャリアを積む度眉も上がってきたんですかね。
途中気付くタイミングはなかったのか、見直す余裕はなかったのか、何か事情があってそうなってしまったとしたらちょっと気の毒ではありますね。
仕事のミスに関してだって、私も秘書をやっていたら、あの眉のおかしさに囚われてバースデーカードの宛名を全てアナスタシアにするというミスを犯すと思いますし、例の暴言を吐かれたら食い気味で「そのマユーーーーーー−!!!ちがうだろーーーーー!!!」って吐き返していたと思います。
眉ちゃんとしてから文句言ってよー。話が入ってこないー。
客観性は眉に宿る、今回の問題と眉毛を見てやっぱりなぁと思います。
友達は、何かしでかした時に「やっぱりあんな眉だから…」ってヒソヒソ言われないようにアナスタシアに通うようにする、とも言っていました。
いや、本当ですよね。
ハーバードの前でも後でもいいからアナスタシアにも行っておこうよ。と。人生でそれはすごく大事なことだよ。と。
逆説的にですが、眉を客観的にちゃんとしようと思っているうちは何かをしでかすことはないしできないんじゃないか、と思います。
さて、私も近々アナスタシアに行ってこよーっと。