「。。。私、ドタキャンしなくなってから人生が好転し始めたんですよ」
あなたがジムのトレーナーだとします。
パーソナルトレーニングなのでスタジオには2人きりです。
そこでラットプルダウンを終えたクライアントが、息を切らしつつゆっくり振り向きながら唐突にこんなことを言ってきたら怖くないですか?
言ったのは、先日の私なんですけど。
トレーニング中は今ここの筋肉を使っているぞーと意識するのがいいと言われていますが、私はそれをやると意識しすぎて裏目に出るというか逆に力が抜けたりするので苦手なんです。
よって、色んなことを考えたり想像したりする雑念トレーニーなんですが、やっぱりアドレナリンが出ちゃってるんでしょうか。
前後の脈略があまりない「答えから」スコーンと頭の中に降ってくることがままあるんです。
そうすると、ただでさえ何かと唐突な私が、ものすごく唐突な怖い人間になってしまうんです。
しかし、トレーナーはそんな私に慣れているので、全く動じずに「なるほど」と大人100%な返しをしてくれました。
「もっと重くても大丈夫です」的な、珍しく頑張り屋的なことを言う方がよっぽど動揺が見られます。
そこから怪しいドタキャンと人生好転論がバーっと止まらなくなってしまって、ひとしきり話して「結構いい話ですよね?」と自ら締めて、またラットプルダウンを始めました。
もう奇行がすごい。
お恥ずかしいんですが、私は若い時、ドタキャンのハードルがかなり低かったんですね。
ちょっと体調が悪いとか天気が悪いとかなんか面倒くさいとかなんか気分がのらないとか。
いや、結局は気分かなぁ…。気分が先で、他は後付けだったかも。
で、ある時から結構意志を持って、「ドタキャンやめよう」と思ったんです。
とは言え、自分の中で「ドタキャンと人生好転」の相関関係を認識しているはずもないので、いや私って運が悪いなーと思ってドタキャン癖をやめたわけではありません。
普通に普通のこととして、たぶん「人として」ドタキャーをやめることにしたんだと思います。
自分が自分で行くと決めたなら行こうと。
当たり前のことすぎて本当に恐縮です…。
それから何年?十年?も経ってないかも。
冒頭に書いたように、ついこの間ジムで唐突に「ドタキャンしなくなってから人生どえりゃー良くなってるわ」と気付いたのです。
それでは、どのように好転しているかを説明したいと思います。
①心がタフになっている
ドタキャーをやめてから、すごく人を好きになっているんです。
だからこそ、今となっては分かります。
私がなぜドタキャーだったのか。
「人へのリスペクトが足りなかったから」ということに尽きます。
特に2人ではなく、何人かの集まりだと、私が行かなくても開催されるし…と思ってドタキャンすることがちょくちょくありました。
「ギリギリ迷惑がかからない程度」と非常に自己中心的な裁量のもとです。
この時点で、人によって巡ってくる運というものがあるならドタキャーにそんなもんが回ってくるわけがないのです。
そして、人へのリスペクトがないドタキャーは自分へのリスペクトもないと言えます。
悪い意味で、本当に悪い意味で自分を過小評価しています。
ドタキャンによって自分の裁量を優先し、自分の何かを守っているにも関わらず、です。
あなたに会いたかった人がいるかもしれない、「美味しかったね!楽しかった!」という一言でその場にいる人が少し良い気持ちで家路に着くかもしれない、最近元気のないあの人の話を聞くだけで心を少しだけ楽にさせてあげられるかもしれない、んです。
些細なことだと思うでしょうか。
些細なことかもしれません。
しかしこのような些細な可能性があることを根底におくかおかないのでは、同じ時間の積み重ねとは言え、派生するものは全く違うものになるのではないでしょうか。
裁量の軸をほんの少し人へとに向ける。
これは自分が積極的にしないと同様に人にしてもらってることに気付きません。
綺麗事ではなく、「体験」だからです。しないと分からないのです。
体験するのは何してもタフさが必要です。
タフだから体験できるし体験するからタフになるのです。
では、私はドタキャーをやめてすぐこのような状態になったのでしょうか。
いいえ、違います。なんだこの文調
②に続きます
②脳がタフになっている
はぁー!!大事すぎる!!
あぶねー!あのままいったら脳が受け身のあまちゃんになるとこだった!じぇじぇじぇ!
すみません、素に戻ってしまいました。
ドタキャーをやめて、私は何よりも脳が鍛錬されてタフになってきたと感じます。
鍛錬、と表現するからには、ドタキャーを脱する時、オールリラックスのオールナチュラルでいられたわけじゃないのは確かです。
人と関わるということは、言うなれば、自分でコントロールできる範囲が狭まるということです。
当然自分が興味のない話題も出ますし、嫌いな話題かもしれませんし、自分が苦手な室温かもしれないですし、嫌いな味付けの料理が出てくるかもしれません。
行って良かったとなるかどうかの保証がないですし、そんな保証があっても行きたくない。
もう人との約束自体を入れなくなる。
ドタキャー末期はそうなります。
先ほど、「自分を守る」と書きましたが、昨今提唱される「自分を守る方法」は数多くあります。そちらの方が優勢なぐらいに思います。
人に合わせなくていい、自分がしたいことをする、気が合わない人と過ごす時間は無駄…すごいまんまなやつしか出てこなかったんですけど、こんな感じのことをちゃんと言ってるやつです。
何も間違っていないし、その通りだと思うのですが、ドタキャーにとってこれらの自分を守る方法はバランス次第だなーと思うのです。
このような機会を避けすぎることは、間違いなく「思い通りのいかなさ」への免疫と耐性が弱るからです。
そこが弱まると、「良いところを見つける機能」がどんどん衰えていき、悪い意味で自分でいっぱいいっぱいになり、悪循環が生まれるのです。
今丁度読んでいる本に『ストレスと回復は生態の基本パラダイムである』ということが書かれていました。
また、少々のストレスを与えると脳は十二分に回復し、将来の要請に備えてガードを固くするそうです。
他にも
・ストレスという感覚は、基本的に脳細胞が受けているストレスが感情に反響したもの
・ニューロンの活動を引き起こすものは、椅子から立ち上がることも同じ回路のストレスと言える
・程度によって克服するまたは適応するか、しないかの違い
というようなことが書かれていました。
実は、この本はジム奇行事件の翌日に届き、まだほんの触りしか読んでいないのに、ドタキャン人生好転論としゅるしゅるしゅると合致したもんだからびっくりしたのです。
面白い本なので別途語らせてください。
でもいつになるか分からないのでタイトルまで。
さて、ドタキャーを脱したばかりの頃は、脳が受け身一辺なので気疲れすることが多かったですし、一回行くと当分いいわーとインターバルが長く必要だったりもしました。
でも、積み重ねというものは偉大です。
だんだん耐性がついてきて、視野を広くもてるようになり、受け身ではなく、場が良いものになるように自然と動くということができるようになったと思います。
ほぼないに等しいですけど、とんでもない不愉快なことが起きたら起きたでそれはネタにしますし、そんなしょうもない話を聞いてくれるのは、やはり今まで双方で築き上げてきた関係性がある人達なのです。
脳がタフになると、ストレスに対ししなやかに適応する免疫がつき、良いところをキャッチするセンサーがぶっとくなります。
③身体がタフになっている
ドタキャーの言い訳にしがちな「なんか体調が悪くて」
これと決別するには、言わずもがな健康管理が大事となってくるからです。
予定が入ったら逆算して体調を整える。
もしくは、少しぐらい無理しても大丈夫なように身体を鍛える。
誤解しないでほしいのは、もちろん具合が悪い時はキャンセルしていいんです。しましょう。私もします。
でも、「ちょっと調子悪いな…私一人行かなくても他にいるしいいか」
「ちょっと調子悪いな…でも美味しいことがありそうだから行くか」
このような利己的な裁量をやめたということです。
タイトルは、当初の思いつきの通り、人生が好転した話と書いたのですが、人生が好転するとは、総じて「人生がタフになる」ということだと思いました。
ちなみに、この話をプライベートで仲良くさせてもらってるシュシュさんとツボフミさんにしたところ、二人ともまさかの元ドタキャーで人生好転経験者でした!
シュシュさんは「コミットする力がつくんでしょうかね?なんといっても人様の時間を大切にする気持ちが、常に発揮されますし。
二十代後半までドタキャンしてて三十代前半で気付いた。なんかこれは絶対ダメな気がすると思って。そうなると健康もいよいよ気にしなきゃいけないし、トータルで強くなった気がします。強運という言葉もあるらくらいだし、やはり運だって強くないことにはついてきてくれないのかもしれませんね」
ツボフミさんは「たしかにドタキャンしがちから、しなくなってから好転した。人を尊敬できない人は運からも見放される。脳身体心のバランスが整うと想像力が高まるからしんどいこともあるけど運は高まるね。ヒツコスさんサウナいこ!」
行く!
ここで返信してしまった。
サウナは行きます。
私から見てお2人は、厳しいクリエイティブの第一線の世界でお仕事が尽きない、掴みとり続け引き寄せ続ける力もある、本当に強い才能があるお2人です。
人へのリスペクトがとても深いんです。
だから関わった人は力をもらえるし、応援したくなるんです。
シュシュさんは「ドタキャーは一事が万事握力が弱い」とも言っていて興味深かったです。
私もこれはなんか分かる気がするなぁ。
チャンスを誠実に掴む労力を惜しむというか、確約じゃないと動かない鈍臭さと傲慢さがあるような気がしますね。
トレーナーに熱く語ったのは「例えばブラピが来るパーティーがあるとするじゃないですか。ドタキャーはそういうのはさすがにいくんですよ。でもドタキャーにそもそもそんな誘いはこないんですよ。だってドタキャーだから」ってことなんですよね。
そこまで鼻息荒くトレーナーに元ドタキャーとして語って気付いたんですけど、ジムは結構当日にドタキャンしたことがあったんですよね。
いや、トレーナーのことはめちゃくちゃリスペクトしてるんですよ。
マジで最後まで奇行。
それではまた。